孫市の街まちづくり
和歌山市駅前【孫市の街】のまちづくりと雑賀衆の取り組みを紹介して行きます
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「郷土の英雄  多くの人が知って」 ひとの「和」コラムに掲載!
サンケイ新聞の2016年4月28日付 [ひとの「和」わかやま]コラムに
孫市の会会長森下幸生 「郷土の英雄  多くの人が知って」と掲載されました!

20160428-ska4.jpg

■孫市の会会長 森下幸生さん(和歌山市) 

 甲冑を身にまとい、眼光鋭く火縄銃を構える姿は勇猛な戦国武将そのもの。
織田信長や豊臣秀吉をも苦しめ、日本一ともうたわれる鉄砲集団「雑賀衆」や
そのリーダーの雑賀孫市に魅せられたことから、地元の仲間たちとともに「孫市
の会」を結成し、雑賀衆をテーマにした祭りの開催に関わってきた。
「和歌山のヒーローたちを歴史に埋もれさせたくない」。
そんな熱意をあふれさせている。

 雑賀衆との出会いは約15年前のことだった。南海和歌山市駅(和歌山市)前で
ビジネスホテルを営んでおり、当時から駅周辺の活性化活動に取り組んでいた。
和歌山の名物や名産を掘り下げていく中で、同市立博物館の職員らから「和歌山
市駅前はかつて、雑賀衆の本拠地だった」と聞かされたという。

 信長好きでNHK大河ドラマの熱心な視聴者でもあったが、改めて雑賀衆のことを
調べてみて、信長を追い詰めた射撃技術や数々の武勇伝にすっかり魅了された。
そして、雑賀衆を駅周辺のまちおこしのテーマに据えることを思いつき、仲間たちと
ともに、孫市の会を結成、雑賀衆の活躍を地域に浸透させるための活動を開始した。

 今でこそ、孫市がテレビゲームなどにも登場する人気武将となり、雑賀衆も知られる
ようになったが、活動を始めたころの知名度は高いとは言えなかった。そんな中で、
歴史に詳しくない人にも雑賀衆に興味を持ってもらおうと、思いついたのが甲冑を身に
着けたパフォーマンスだ。

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 大阪城で実施されていた厚紙や段ボールを使って甲冑を作る教室に通い、その後は
よりリアルさを演出するため、アルミなどを使う「和歌山方式」というオリジナル技法で
自前で甲冑を作るようになったという。

 そして、平成17年からは毎春、「孫市まつり」を開催。和歌山城から雑賀衆が拠点にした
と伝えられる同市の本願寺鷺森別院にまで武者行列が練り歩くというイベントだ。

 当初はこの武者行列の参加者も十数人程度だったのが、今春は200人を超えた。
だが、決して現状に満足しておらず、「毎年同じことをするのではなく、市中心部を歩く
など、工夫を凝らしたい」と意欲的に話す。

 雑賀衆のことを知ってもらいたいという一心で、市内の小学校で出前授業にも
取り組んでいる。授業では決まって甲冑姿で登場するし、子供たちにも好評という。
「日本一の鉄砲集団、雑賀衆は和歌山で生まれて和歌山で育った私たち郷土の英雄。
もっと大勢の子供たちに知ってもらい、和歌山に誇りを持ってほしい」。こう話し、豪放
磊落な人物に描かれることが多い孫市を髣髴とさせる快活な笑顔を浮かべた。
 (永原慎吾)
 
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あとがき:雑賀衆や孫市を語るときの目を輝かせた少年のような表情が印象的だった。
私自身、歴史や戦国時代は大好きだが、森下さんの知識には舌を巻いた。
 孫市が信長を狙撃したエピソードなど、話の一つひとつに興味をそそられた。
取材後には、学生時代に読んだ「尻啖え孫市」(司馬遼太郎)をもう一度読み返したくなった。

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さいか屋小史
2013年9月7日(土)は、通天閣のたもとの新世界で行われた
第6回百年縁日に「くしたん」のお友達101人の一人として
「まごりん」が参加するので、雑賀衆もお供して新世界に遠征しました。

20130907-07b.jpg

その後、お会いした方々とTwitterなどで楽しく交流していました。

その中で、神奈川県横須賀市のさいか屋さんの話になり、
さいか屋さんは、雑賀衆末裔の方が創業された百貨店ですが、
その縁もあって我々雑賀衆にさいか屋さん・県庁から遠征依頼の
お声がけがあり、過去3回横須賀さいか屋へ遠征したことがある
と話しました。

○関東遠征~さいか屋さんへ出陣 2008年6月4日
 http://magoichi.blog9.fc2.com/blog-entry-206.html

○横須賀市「さいか屋」二度目の遠征 2009年11月18日
 http://magoichi.blog9.fc2.com/blog-entry-263.html

○さいか屋遠征行ってきました(^0^)/ 2010年11月04日
 http://magoichi.blog9.fc2.com/blog-entry-315.html

20080604_12.jpg


そして・・・

「横須賀には雑賀・鈴木一族が多いとありましたが、
 和歌山からどういう経緯で横須賀に行かれたんでしょう。

 そんな歴史背景とかわかる本などありましたらご紹介ください」


とのご要望をお聞きしましたので、遠征した時にいただいたさいか屋さんの
資料「さいか屋小史」の中より該当の部分を下記に紹介したいと思います。

それぞれのページをクリックすれば大きくなります!

さいか屋01
さいか屋小史表紙(さいか屋創業125周年記念として平成9年10月発行)

さいか屋02
ルーツは、紀州和歌山

さいか屋03
雑賀衆と雑賀孫市の活躍

さいか屋04

雑賀衆が商人になった者は、安田姓、岡本姓が多い・・・さいか屋さん創業者は、岡本さん。
八代将軍 吉宗の時代に 浦賀へ

さいか屋05

享保五年雑賀屋は廻船問屋として浦賀に支店を出す。
一族の中で岡本姓のものが浦賀へ引き移ったそうです。
豪商紀州雑賀屋があった名残り・・・雑賀屋町の町名が残る!

さいか屋13
雑賀衆がかぶっていた兜「雑賀鉢」

さいか屋23
豪商紀州雑賀屋

さいか屋24
浦賀と神奈川の雑賀屋

さいか屋25
雑賀の地名をたずねて

さいか屋26
鉄砲伝来と紀州

さいか屋27
出来助の鉄砲

機会があったので、「さいか屋さんの小史」を見直してみると
大変貴重な資料だとあらためて実感しました(^^)v(^^)v

昭和の孫市「すっとん狂で陽気」
第9回の後片付けをしながら孫市城の展示も整えようとしています。
「尻啖え孫市」の陣羽織やそれにまつわる資料など展示し、さらに古い貴重な
資料がないか?と探す中で、古い新聞記事が目に留まりました。

それは、朝日新聞昭和55年(1980年)1月7日(月)に掲載された雑賀精神4
「昭和の孫市」すっとん狂で陽気 華やかさ残す 最後の紀州人・・・として、
日本雑賀一族会初代会長である雑賀伊一郎氏のことを紹介する記事です。

雑賀伊一郎氏は、明石市在住で孫市の会会員である雑賀圭五さんのお父さん
で旧箕島町長さんでいらっしゃいます。

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新わかやま物語

 雑賀精神4 昭和の孫市

すっとん狂で陽気 華やかさ残す最後の紀州人
------------------------------------------

 作家の神坂次郎さんから聞いた話だ。日本雑賀一族会の初代総裁、雑
賀伊一郎老(四十九年十月没、当時八〇)が「尻啖え孫市」執筆中の司馬
遼太郎氏の家に乗り込んだ。光頭巨躯に生来の大声で、家中を揺するが
ごとく「さいかーいちぞくはー」と司馬氏に一言もしゃべらさないまま、とうとう
と弁舌。自分の言いたいことだけしゃべると、新聞紙に包んだ自社製の蚊取
り線香の束をドッと司馬氏の前に置いて「孫市をよろしく」と嵐のように消え
去ったーー。

「あれこそ昭和の孫市ですな。あんな人間はもう出てこないでしょうな」と
神坂さんはしきりに懐かしんだ。

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 日本雑賀一族会は、三十年に伊一郎さんが中心となって結成された。
姓が「雑賀」であれば入会できるという親睦団体。「祖先の遺徳を顕彰
しその誇を子孫に伝承」(会則)を目的とし、年一回どこかで総会を開
いて会員の士気を高める。会員は県内だけでなく、東京、横須賀、佐渡
ケ島、兵庫県朝来郡、養父郡、徳島市にも多く、計三百人を超える。旧
箕島町長(有田市)を務めるなど出張の機会が多かった伊一郎老が、旅
先の宿屋の電話帳から「雑賀」姓を見つけては手当たり次第に「もしや
先祖は紀州では」と誘いかけ、強引に会員に仕立てあげた、というエピ
ソードは有名だ。

 孫市の陣羽織にある三本足のヤタガラスを会のシンボルとし、胸にヤ
タガラスの会員バッジをつけ、エンジに白抜きのヤタガラスのぼりをおっ
立てて西本願寺参りや阿波踊りの雑賀一族連をぐいぐい引っ張り、「雑
賀一族万歳」と快哉を叫んだ伊一郎老に、現代の孫市、最後の紀州人を
見た人は少なくない。

 神坂さんは「あの人を見て司馬さんの孫市像が出来たんですよ。どこか
すっとん狂で、プラスにならんことをした男。今の世の中、アホウが少な
くなったでしょう」。司馬氏は「尻啖え孫市」の最後を「・・・底ぬけの楽天
主義、倣岸さ、明るさ、そして愛すべき無智。すべて孫市はそなえていた。
それが風吹峠で消えた」と結んだ。この孫市の性格は「陽気で華やかな
紀州人気質」からつくり出したと司馬氏自身述べておられる。今の紀州
からみれば、ちょっと面はゆいような気もするが。

「まじめに孫市を史実から問い詰めれば違った人物が出てきますよ。でも、
司馬さんの孫市でいいじゃないですか」と神坂さん。そうでなければ、伊一
郎老のような人物も出てこない、と言いたげ。ただ、コツコツと時代の中から
ユニークな人物を小説の主人公として発見してきた神坂さんも「とくに明治
以後、面白い人間がこの紀州から少なくなっている。長い沈滞ですなあ」
と残念がる。

商工祭になってしまった和歌祭ではなく、根来や雑賀を中心とした、と
てつもないお祭り、だれかがアホウになって音頭とらんやろうかと、神坂
さんはけしかけた。

「雑賀衆と雑賀孫市について」卓話
10月31日は、東南ロータリーさん例会に招かれて
「雑賀衆と雑賀孫市について」のテーマで卓話してきました。

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いつもお世話になっている華月殿の萩社長さんに見送られて
会場に入っていきました。東南ロータリークラブさんは、
例会をここ華月殿さん7階を会場として使っているそうです。

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話のとっかりとして歴史ヒストリアの話からしました。


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戦国時代の地名「雑賀(さいか)」からいよいよ雑賀衆のお話です。

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熱心な方が3つほど質問しに来てくれました。

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同級生がいるとは・・・ビックリ!記念撮影しました(^^ゞポリポリ

講演「雑賀衆と雑賀孫市について」
9月23日は、ぶらくり丁「みんなの学校」で
「雑賀衆と雑賀孫市」について1時間しゃべって来ました。

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もちろん、私の正装"甲冑姿"で
話をさせていただきました。

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雑賀五組図を使って説明しました。
永禄五年の雑賀衆=湯河直春起請文などを基に
地縁集団「雑賀衆」を説明しました。

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今、話題の戦国BASARA「雑賀孫市」も紹介。

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当初、内容的に3時間かかりそうな構想でしたが、
なんとか1時間におさまりました(^^ゞポリポリ

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まあまあ・・・しゃべれましたが、
次回の機会まで もうちょっと
勉強しないといけないと感じることもありました。
すごくいい経験になったと思います。

20100929mainichi

毎日新聞9月29日号に掲載されました。

「ほうぼ」に掲載されました。
「ほうぼ」わかやま4号の裏表紙に掲載されました。 
クリックすると100%の大きさになり読めますよ。

houbo-vol4.gif

※.「ほうぼ」は、株式会社ウイングさんが発行するフリーペーパーです。
   和歌山の「歴史と文化」にこだわった情報誌です。
  「ほうぼ」わかやまのページ http://w-i-n-g.jp/houbo.html

「ほうぼ」わかやま4号の全ページが下記から読めます。
http://w-i-n-g.jp/houbo/houbo_4.pdf


「紀州浪漫」2009年冬号に掲載されました。
和歌山県観光情報誌「紀州浪漫」2009年冬号(Vol.31)に掲載されました。
裏表紙の「おくに自慢」のコーナーで紹介されました。

合い言葉は「雑賀孫市は和歌 山の宝」(上部)
合い言葉は「雑賀孫市は和歌 山の宝」(下部)

○おくに自慢
合い言葉は「雑賀孫市は和歌 山の宝」(和歌山市)
想いと努力でつなげる海岸沿いの熊野古道(田辺市~那智勝浦町)
http://kanko.wiwi.co.jp/pamphlet/kisyuroman/2009/winter/01.pdf

「紀州浪漫」の内容全体は、こちらです。
http://kanko.wiwi.co.jp/pamphlet/kisyuroman/


「雑賀孫市で街おこし-『孫市の会』のたたかい」 
                      白石 博則
                       (和歌山城郭研究会会長)
 
雑賀孫市を知っていますか?

 雑賀孫市を知っていますか。
 本名は鈴木孫一重秀。戦国時代の紀州を代表する人物です。
 戦国時代和歌山市から海南市にかけては「雑賀惣国」と呼ばれ、
5つの「組」(雑賀荘・十ヵ郷・南郷・中郷・宮郷)に分かれていました。

5kumizu.gif

 惣国の方針は、組内の各村々の代表者(地侍)の合議によって
決まりましたので、当時来日した宣教師ルイス・フロイスは此の地を
「共和国」と呼びました。その構成員雑賀衆を「富裕な農民」ととらえています。

この雑賀衆の代表者の一人が雑賀孫市(以下この表記を使う)でした。
孫市を有名にしたのは、石山本願寺と織田と本願寺との間の「10年戦争」でした。

本願寺門徒だった孫市は顕如上人の要請で、鉄砲で武装した雑賀衆とともに
上山、織田軍相手に華々しく戦い勝利を収めます。雑賀衆の戦闘の特徴は
数多くの鉄砲を活用した集団戦法でした。当時高価であった鉄砲を織田軍に
負けないくらい多数揃えることができたのは、この雑賀の地が経済的に豊か
であったからでしょう。

 しかし信長も黙っていません。本願寺の後背地である雑賀を壊滅させるために
天正5年(1577)大軍を率いて攻め寄せました。
この時は孫市以下主立ったものが、今後は信長に反抗しない旨の誓詞を出して
赦免されました。その後も本願寺は毛利氏などと連携して戦いを続けますが、
天正8年(1580)正親町天皇の仲裁で石山を去り、鷺森本願寺(現和歌山市
の鷺の森別院)に移ります。

事実上本願寺の敗北です。孫市はこれを機に信長権力を背景に信長
のエージェントとして活動し、天正10年(1582)正月には利権をめぐって
対立を深めていた同じ雑賀衆の土橋氏を暗殺、一挙に土橋勢力を掃討して
雑賀の実権を握ります。ところがその年の6月信長が本能寺で明智光秀に
討たれると、土橋派に逆襲され紀州を離れ、再び戻ることはなかったとされます。

 司馬遼太郎は昭和30年代に『尻啖え孫市』を書き、孫市の名を広めました。
司馬の孫市は、合理主義者だが無類の女好きがたたり信長を敵にまわしてしまいます。
紀州の民衆の中から生まれ出た戦国の英雄として描かれています。
豪放磊落、武芸百般特に鉄砲の射撃長じ、何ものにも縛られない自由な魂を持った
孫市はなんとも魅力的です。

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その後萬屋錦之助主演で映画化され、昭和48年のNHKの大河ドラマ
『国盗り物語』では林隆三が演じて人気がありました。
また、孫市はゲームソフト『信長の野望』『戦国無双』のキャラクターとして登場し、
比較的若者層にも知名度の高い人物です。
 この孫市と雑賀衆で街おこしを企てるのが、森下幸生会長率いる「孫市の会」です。

和歌山市駅周辺の活性化のために

 和歌山市には鉄道の玄関口が二つあります。JR和歌山駅と南海和歌山市駅です。
近年に西の玄関口南海和歌山市駅の寂れ方は著しく、駅ビルには大手デパートが
健在ながら駅前商店街は、低落傾向を脱することができませんでした。
その市駅周辺活性化のエースとして選ばれたのが雑賀孫市です。

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      エース像の象徴として「雑賀孫市木像除幕式」(2007.4.1)

 和歌山市駅は紀ノ川河口部に接していますが、中世ここには「紀伊湊」と呼ばれる
湊があったと考えらています。中世の湊は河口部に作られることが多いのですが、
紀伊湊は上流に高野山・粉河寺・根来寺のような強大な宗教都市を持っていました。
この都市に運ぶための年貢や様々は消費財は、この紀伊湊で川船に積み替えかれま
したので、この地には大きな富が蓄積されていきました。

また、「雑賀鉢」と呼ばれる兜には「紀州宇治住」の銘があり、宇治(和歌山市駅東)
では甲冑の製作が行われていたと推定されています。
さらに一時は本願寺の本山になった鷺森別院なども近く、和歌山市駅周辺が
雑賀衆或いは雑賀孫市の本拠を称する裏付けは十分です。

 ところが、雑賀孫市(鈴木孫一)は前述の通り、天正10年紀州を去って
その後の活動は不明。また雑賀衆は中世特有の一揆であり、近世には
跡形もなく解体されてしまっています。湊の跡は砂に埋もれ、市場の跡や
工房、城館跡も残っていません。

また住民には自分たちが「雑賀衆」だという意識もほとんどありません。
つまり「孫市の会」が、もり立てるべき歴史遺産(遺跡)は皆無なのでした。
ゼロからの出発です。

雑賀衆の再現めざし

 無を有に変えるには「再現する」しかありません。まず平成15年(2003)に
孫市の街のシンボルマークを決め、キャラクター「まごりんとヤタっち」を発表、
翌16年からは雑賀衆再現のための甲冑作りを始めました。その年の8月には
「孫市の街市駅夏まつり」を開催、駅前広場で鉄砲演武をし、雑賀衆甲冑姿を
披露しました。

 さてコンセプトが「雑賀衆(雑賀孫市)の再現」なのですから、当然甲冑製作には
力が入ります。平成18年(2006)には「わかやまの底力・市民提案実施事業」で
会が提案した「雑賀孫市で街おこし事業」が採択され、19年度和歌山市から
甲冑製作に補助金がでることになりました。

製作希望者を一般市民から募り、19年5月から7月にかけてアルミ板を使った
手作り甲冑(兜と鎧)教室(本格的甲冑教室と子ども甲冑教室)を開催しました。

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 この甲冑は今までの段ボール製ではなく、かなり本格的です。まずアルミ板
(一人畳一畳分)をパーツ毎に切り、穴を開け(5000個~6000個)部品を作ります。
それにひもを通して繋いでゆきます。

根気のいる作業を週1回(全12回)続け、完成させた参加者には「いままで鎧
なんて縁がなかったが、歴史を身近に感じられた」と好評でした。この甲冑20領は
3月30日(日)第4回「孫市まつり」の武者行列で披露されました(後述)。

 さて雑賀衆と言えば鉄砲。今年は本物そっくりの火縄銃も製作しました。
これは陸上競技などで使うスターターピストルを使ったもので、音も鳴り
本物同様に構えることができます。甲冑に火縄銃。
いままで幻だった雑賀衆の姿が徐々に市民も前に立ち現れてきました。

20080925-06.jpg
          有功東小学校6年風組にて(2008.9.25)

 「孫市の会」では、雑賀衆の再現を狙っていますが、歴史研究の成果を
無視した荒唐無稽な雑賀衆を再現してよいとは考えていません。
和歌山には雑賀衆を研究されてきた多くの研究者がおり、日進月歩で
研究は進んでいます。彼らの研究成果をもとに作成したのが、「雑賀衆
ゆかりの地マップ」(「わかやまの底力・市民提案実施事業」の一環)です。
また、常に雑賀衆の真実を追究しようと学習会も開いています。

第4回孫市まつり

 3月30日(日)、生憎の雨模様。
孫市の会では「雑賀孫市で街おこし事業」の総仕上げと位置付けた
今回のまつりに、物心両面にわたって空前のエネルギーを投入してきました。

まず武者行列。総勢150人、昨年の2倍近い人数になりました。
10時和歌山城一の橋を出発。先頭は平安時代の女人の旅装束
(市女笠に垂れ絹の壺装束)、続いて全国から応援に来た様々な時代の
鎧をまとった武者たち、そして雑賀甲冑隊、しんがりは九度山町から
友情出演の真田祭(真田幸村を偲ぶ祭り)の武者たち。

20080330itou.jpg

雑賀甲冑隊には今年度甲冑教室新たに作った20人も参加したのは
もちろんのことです。

20080330a.jpg

 武者行列は五分咲きの桜の城内を練り歩き、大勢の観光客に
迎えられて西の丸広場で開催中の市民茶会へ表敬出演。
「えいえいえおー」とときの声を上げいよいよ町中へ。
道行く人たちの注目を浴びつつ和歌山市駅まで練り歩き
デモンストレーションしました。

20080330sinbori.jpg

ここで保育園児や小学生も交えて会場の鷺の森別院まで練り歩きました。
子どもたちは、小降り中でも元気に笑顔で歩いていました。

20080330-enisi.jpg

 11時まつりの始まりです。鷺森別院境内で雑賀鉄砲隊が演武、
凄まじい音が雨空に響き渡りました。その後太鼓の演奏やロックバンド
「ザ・ビート」の雑賀孫市をテーマにした曲の演奏、昼食時には魚介類が
豊富に入った「孫市鍋」が振る舞われました。

 雑賀衆の再現は、甲冑武者と火縄銃で大成功を収めました。
しかし、それだけでは単なるエンターテイメントでしかない。
本当に雑賀孫市をそして和歌山の歴史を、知り愛してもらうには
もっと地味だけれど、「歴史の真実」を追究取り組みは欠かせません。

その意味で私が重要だと思ったのは、シンポジウム「雑賀孫市の実像に
迫る」-演劇「黒い鳥」に描かれた中世共和国-です。

パネラーは雑賀孫市が主役の演劇「黒い鳥」の脚本演出を担当した
「演劇集団和歌山」の楠本幸男さん、その劇で主役孫市役を務めた岡崎義章さん、
和歌山市立博物館学芸員の太田宏一さん、そしてコーディネーターは
和歌山大学の海津一朗先生です。

20080330sinpo.jpg

当日鷺森別院本堂には100人以上の人が集まりました。
前述のように雑賀孫市こと鈴木孫一の姿は虚々実々、その実像は
謎に包まれています。

多くの市民には、司馬の描く林隆三孫市や萬屋錦之助孫市など
デホルメされた孫市像が刷り込まれている。このシンポジウムでは
太田さんが孫市の実像、なぜ今の孫市の像が生まれたのか説き、
演劇の二人は戦国の英雄ではなく家庭問題や老いに悩む等身大の
人間として孫市を語りました。

確かに初めて聞く人には、従来の孫市の像が崩壊したかもしれませんが、
より身近に自分たちの郷土の先輩の姿をイメージできたのではないでしょうか。

現代の「雑賀衆」誕生
     ~「孫市は和歌山の宝」を広げよう~


 会長の森下幸生さんは、
「地道に孫市を定着させたい。大河ドラマで(その地域が)取り上げられたら
人気は急上昇するけれど、地元には見せるものがなくて、直ぐにしぼんでいく
ことが多い。そんな付け焼き刃にはしたくない。じっくり本物を作りあげ、
そして、チャンスを待ちたい。観光客にしっかりと和歌山を見て、知ってもらえる
そんな取り組みを目指したい。」と語ります。

彼自身甲冑をまとい戦国時代の雑賀衆を再現の最前線に立っています。
普段はビジネスホテルの経営に忙しく働きながら、時間を作って同じ「雑賀衆」
の仲間とともに各地に孫市と雑賀衆のアピールに出かけ、まつりの会議を主催し、
まつりのポスターを貼りにまわり、学習会を企画し・・・それこそ八面六臂の活躍。

雑賀衆も紀伊湊を拠点にした水上流通業者であり、漁業者でありながら、
鉄砲を担いで本願寺に味方し、守護の催促に応じて畿内に出かけ、
海を渡って四国に戦いに行ったのでした。

その姿を彷彿させる彼と「孫市の会」のメンバーたち。

 しかし、正直なところ和歌山市駅前商店街は、必ずしも活性化している
とは言い難いのです。これが「今孫市」の悩みであり、孫市の会の課題なのです。
そんな話しをすると役員の一人は「この活動はおもしろいし、甲冑作りや
仮装で(コスプレ)を通じて歴史を若者にも知ってもらえるところがええんや。
まあ時間がかかるわ」と明るく話してくれました。

20070804ymoto.jpg

 武者行列の甲冑武者らがお互いに鎧の袖のひもを結びあう姿。これを見ると
かつての雑賀衆等もお互い助け合いながら戦っていたのだろうと想像したりします。
まつりのためにテントを組む、野菜や魚を切って孫市鍋を作る、武者行列の安全を
確保するためにガードマン役をかって出る、展示物を紹介する、看板を立てるなどなど
まつりに関わった人たちみんなが雑賀衆のように思われました。

20080310jyunbi.jpg20080330youti.jpg

甲冑をまとった人ばかりでなく、まつりに参加してくれた人も含めて大きな連帯感を
得られたら、それが雑賀衆の再現なのではないかと私は思います。

 町おこしは「心おこし」からと言います。ようやく雑賀衆は目覚めたところ。
これからどうたたかっていくか、これからが勝負だと思いました。


「雑賀孫市」想像をかきたてる実像の謎
1月13日毎日新聞和歌山版に『「雑賀孫市」想像をかきたてる実像の謎』の
記事が掲載されました。

雑賀孫市の実像にさぐる特集で和歌山市立博物館太田宏一主任学芸員による
史料に基づく説明が紹介されています。
市駅前の雑賀孫市木像も紹介されています。




戦国最強の鉄砲衆を和歌山の代名詞に
サンケイ新聞近畿ワイドに「戦国最強の鉄砲衆を和歌山の代名詞に」と
孫市の会の取り組みや活動が紹介されました。




雑賀孫市は和歌山の宝。
社会経済研究所 研究所報「21世紀WAKAYAMA」VOL.50に掲載された寄稿文を紹介します。

      ◇      ◇      ◇      ◇

雑賀孫市は和歌山の宝。
~手作りで再現!"魅力ある雑賀衆の地・和歌山市"実現へ~


はじめに

「雑賀孫市で街おこしを!」と取り組み始めて丸3年になります。
この間、年1回開催されている市駅地区のお祭り市駅夏まつりもすっかり
『孫市の街!市駅夏まつり』として定着しました。春も時代祭り『孫市まつり』
を2回開催しました。和歌山市駅周辺が雑賀衆の本拠の街であり、和歌山市
が雑賀孫市と雑賀衆の街であることが、少しずつ認知されつつあります。

雑賀衆の姿を再現しようと始めた手作りの甲冑姿は、2004年8月紀州ぶんだら
踊りや『孫市の街!市駅夏まつり』に初登場しました。たった一領しかなかった
甲冑の数も一年後に10領になり『孫市まつり』はじめ雑賀衆ゆかりの地などで
活躍しています。また依頼があればお年寄りを激励に老人ホームを訪問したり、
難病で苦しむ子供たちを励ますリゾートキャンプに出演したりしてきました。
全国各地の時代祭りにも参加してきました。時代祭り開催のために、体験的に
参加してスタッフにも話を聞きました。甲冑を通じて活性化を行う横のつながりを
強める意味もありました。

その都度、雑賀孫市と雑賀衆が、自分たちの街が誇れる和歌山の宝だという
ことを訴えてきました。戦国時代に紀州を中心に活躍した雑賀衆への興味は、
少しずつではありますが増加し、より身近に感じてもらっている嬉しい反応が
届いています。



孫市になるんや!

この取り組みを本格化させるために孫市の会が、今年1月末に正式に設立され
ました。会員数も設立当初の個人会員30名から現在66名8団体の市民団体と
なりました。

孫市の会は、戦国の鉄砲大将「雑賀孫市」を目玉にして和歌山を元気しようと
活動しています。春の時代祭り『孫市まつり』の開催をはじめ『孫市の街!市駅
夏まつり』の「よみがえれ雑賀衆!」の部分での応援や雑賀衆ゆかりの地ウォー
キングの実施など雑賀孫市をより身近に感じてもらえるように取り組んでいます。

イベント以外での雑賀孫市で和歌山を元気にする活動の具体化として、手作りの
雑賀衆甲冑を増やそうと取り組んでいます。主催する『孫市まつり』において可能
な限りスタッフが、甲冑に身を包み、雑賀衆甲冑姿あふれる祭りにしようとしてい
ます。

これは、誰もが戦国時代に活躍した雑賀衆になれるように、現在の我々が祭りを
取り組み、そのスタッフ一人ひとりが雑賀衆の武者に扮し、観客の皆様を鷺森御坊
周辺でにぎわう雑賀荘に居るかのように、当時の雑賀衆の活躍を彷彿させるお祭
りを実現したいのです。

そう・・・一人ひとりが雑賀孫市になれるお祭りを目指しています。



雑賀孫市で街おこし事業

平成18年度わかやま底力・市民提案事業に翌年度事業として孫市の会は、「雑賀
孫市で街おこし事業」を提案しました。7月9日に実施された公開プレゼン形式での
選考の結果、幸運にも一次審査を通過していた参加5団体の中でトップに選ばれま
した。現在、来年度実施に向けて実施内容や予算案をより磨きをかけるため市の担
当課と協議しています。

「雑賀孫市で街おこし事業」は、甲冑製作教室の開催やそれを活かした孫市まつり
の大規模化及び雑賀衆ゆかりの地整備など提案しました。甲冑製作教室は、手作
りの雑賀衆甲冑を増やす第一歩の取り組みです。本格的な手作り甲冑を20領増
やす他、比較的簡単に作製できる畳鎧を多数の親子さんに参加してもらえるように
計画しています。

これは、参加した小学生・中学生をはじめ和歌山市民の皆様に鎧を作りながら「和歌
山にも素晴らしいヒーローが居た!」ことを再発見してもらう。ふるさと和歌山への自信
と誇りを育て小中学生の自主性を育てる取り組みでもあります。工作をする中で自分
たちが育ち生活している和歌山の歴史に改めて目を向けてもらいます。紀州人が、最も
自由闊達に活躍していた時、戦国時代の雑賀衆を知っていただき、新しい観光資源を
発掘しようというものです。

やがて和歌山市への集客増加となり観光振興に寄与し活性化につながる事業となる
と確信しています。まさに「雑賀孫市は和歌山の宝。」を体感していただく取り組みです。

数十の甲冑が揃えば、紀州ぶんだら踊りに孫市の会連を組織して、多くの雑賀衆甲冑
姿はじめ大きな火縄銃や雑賀孫市のねぶたフロートなどを登場させ紀州ぶんだら節を
盛り上げて行くのもいいかも知れません。



雑賀孫市像を市駅前広場に

和歌山市駅周辺が雑賀衆の本拠の街『孫市の街=和歌山市駅前』とやり出してから
一番多く出された意見は、市駅前広場に雑賀孫市像を設置したいという意見でした。
孫市の会では、雑賀衆本拠の街のシンボルとして是非とも雑賀孫市像を実現したいと
考えています。

和歌山市の玄関口である和歌山市駅自体のシンボルとしても考えています。雑賀孫市
像の前で記念撮影したり待ち合わせ場所になったりと駅のシンボルであり孫市の街の
シンボルになります。

さらにもう一つは、雑賀衆ゆかりの地を観光するキーステーションのシンボルとしての
設置です。雑賀孫市像に隣接する場所に雑賀衆ゆかりの地観光案内板の設置も考え
ています。雑賀衆ゆかりの地を観光するキーステーションとして和歌山市駅を位置づけ
れば、和歌山市が雑賀衆の街としてより認知され、全国から観光客の集客にもつながり
ます。

観光は、駅から始まります。駅からあちこちの目的の場所を訪れます。雑賀衆に興味を
持った方が南海和歌山市駅に着く。ここから雑賀衆ゆかりの地を巡ってもらう。ここは、
戦国の鉄砲大将雑賀孫市の街です。すぐ近くに雑賀鉢発祥の地があります。雑賀衆ゆ
かりの地は、本拠だった和歌山市駅周辺及び古戦場跡の秋葉山周辺、太田城の水攻め
周辺とかあります。和歌山市は雑賀衆の街ですよ。こういう内容の案内板とともに雑賀
孫市像の設置を近い将来実現できるように今後も追求していきたいと思います。

“魅力ある雑賀衆の地・和歌山市”実現へ

雑賀衆に興味を持った方は、大変多いです。和歌山県内だけで感じているよりも全国に
目を向ければ以外に多いことに気づきます。和歌山市立博物館寺西貞弘館長が書き下
ろした「雑賀孫市実録伝」を原作としてラジオドラマ「紀州戦国疾風録」が、10月8日WBS
和歌山放送で放送されました。それを録音するために神戸からわざわざ和歌山城まで
来られた方が、いたりします。その後、市立博物館を訪れたそうです。

以前は、司馬遼太郎さん著の「尻啖え孫市」が雑賀孫市に興味を持つ入り口でした。
今では、パソコンやTVゲームのソフトを通じて雑賀孫市に出会い、好きになるようです。
「信長の野望」や「戦国無双」などのゲームをして登場するゲームキャラの孫市を好き
になる。ここを入り口として雑賀孫市に興味を持つ方が大変多いです。

こうした雑賀孫市や雑賀衆に関して和歌山に来て「体感したい」との要望に十分応え
きれていないのが現状です。孫市の会が出来てから雑賀衆関連のイベントが確かに
増えましたが、まだまだ少ないです。またせっかく雑賀衆ゆかりの地を訪ねてもらっても
要望に応えられる整備になっているかと言えば残念ながら十分とは言えません。

「体感したい」との要望に十分応えられる "魅力ある雑賀衆の地・和歌山市"を実現すれ
ば、もっともっと和歌山市を訪れる人々が増えること間違いないでしょう。まずは、手作
りで再現可能な物から再現して『孫市まつり』などをよりイメージ豊かなお祭りにしてい
きたい。そして祭りを作る側も見る側も孫市を感じられるお祭りにしたい。いずれは、雑賀
衆ゆかりの地の整備や再現などを通じて魅力ある雑賀衆の街・和歌山市を実現したい。
そのために今後もさまざまな事業を展開していきたいと考えています。

(財)和歌山社会経済研究所
        研究所報「21世紀WAKAYAMA」VOL.50より(2006.12.4発行)
週刊まちぶら「戦国の名残 情景豊か」
11月6日の朝日新聞に週刊まちぶらで秋葉山周辺
「戦国の名残 情景豊か」が掲載されました。
3日に和歌山ものしり講座「雑賀衆と和歌山」ゆかりの地散策で
訪れたばかりの秋葉山(弥勒寺山)の特集です。
ちょうどタイムリーな掲載でしたね(^^)v(^^)v



           上と下それぞれクリックすれば文章も読めますよ(^0^)/
いよいよ明日放送!


ラジオドラマ「紀州戦国疾風録」

雑賀衆に関して耳寄りな情報です。。。
そうです~~耳より情報を入れるラジオ放送です!

いよいよ明日から放送開始!

ラジオドラマ「紀州戦国疾風録」がWBS和歌山放送で
 明日の午後からいよいよ放送開始されます!


 10月2日~6日14時45分~14時55分(10分ずつ5日間放送)
 10月8日(日) 13時~14時(再~前編後編一挙放送!)

主演の雑賀孫市は、和歌山弁落語の桂枝曾丸さんだよ~(^^)v(^^)v

 原作「雑賀孫市実録伝」より(和歌山市立博物館寺西貞弘館長著)
 ・前編:雑賀鉄砲衆の誕生
    雑賀の人々が、鉄砲軍団を組織するまでの経緯を語ります。
    鉄砲が何ゆえ戦国大名に採用されずに、雑賀衆に採用され
    たかという事実に注目します。
 ・後編:雑賀鉄砲衆の勝利
    本願寺戦争の緒戦で、福島砦に立て籠もり、信長軍に勝利を
    収めるまでの過程を語ります。鉄砲が戦国時代の戦闘用式を
    大きく変えた←雑賀鉄砲衆が大きな役割を果たした。

 【wbs和歌山放送周波数】
  和歌山・串本 1431KHz
  橋本・高野山 1485Khz
  御坊・新宮 1557KHz
  田辺白浜・日置川すさみ 1233KHz
ラジオドラマ「紀州戦国疾風録」
○ラジオドラマ「紀州戦国疾風録」がWBS和歌山放送で放送されます!
 10月2日~6日14時45分~14時55分(10分ずつ5日間放送)
 10月8日(日) 13時~14時(再~前編後編一挙放送!)
 
 原作「雑賀孫市実録伝」より(和歌山市立博物館寺西貞弘館長著)
 ・前編:雑賀鉄砲衆の誕生
    雑賀の人々が、鉄砲軍団を組織するまでの経緯を語ります。
    鉄砲が何ゆえ戦国大名に採用されずに、雑賀衆に採用され
    たかという事実に注目します。
 ・後編:雑賀鉄砲衆の勝利
    本願寺戦争の緒戦で、福島砦に立て籠もり、信長軍に勝利を
    収めるまでの過程を語ります。鉄砲が戦国時代の戦闘用式を
    大きく変えた←雑賀鉄砲衆が大きな役割を果たした。

 【wbs和歌山放送周波数】
  和歌山・串本 1431KHz
  橋本・高野山 1485Khz
  御坊・新宮 1557KHz
  田辺白浜・日置川すさみ 1233KHz


雑賀町


8月27日付わかやま新報に「雑賀孫市が暮らした町~雑賀町」
と題するコラムが掲載されました。このコラムは、雑賀町を
「戦国時代に活躍した雑賀衆の鉄砲大将、雑賀孫市がこの辺りに
住んでいたことからその名がついたらしい」と紹介している。
しかし、この根拠はなにもありません。

雑賀孫市、本名:鈴木孫一重秀の本拠は、和歌山市の平井・大谷
でありました。 市博学芸員の太田さんも「雑賀町は天正の頃、
雑賀孫市が住んだから名づけられたと一応伝えられます。これも
全く根拠がない話です。」と以前説明してくれました。これは、
江戸後期の『紀伊続風土記』に書かれているだけで、戦国時代
当時の根拠がなにもないからです。

では、実際どうだったのだろうか・・・市博学芸員の武内さんは、
一個人の仮説としながら次のように説明してくれました。
「雑賀町は、雑賀本郷の住人が移り住んだので雑賀町と呼ばれた
のだろう。」

というのも、戦国時代、問題の場所は、川で人が居住できる場所
ではなかったとのこと。雑賀本郷とは、雑賀庄内の一つの郷であり、
雑賀庄全体の鎮守である矢ノ宮を村の産土神とする関戸、西浜、
宇須、塩屋、小雑賀の五村に、和歌浦を加えた雑賀庄南部の地域
である。和歌浦の住人が移り住んだ和歌町があるのでそれ以外の
関戸、西浜、宇須、塩屋、小雑賀の住人が移り住んだと考えられる
そうです。

一時、雑賀孫市が雑賀衆のリーダーとなった時に鷺森御坊に詰める
際に便利なように近場の雑賀町に住んだのかなぁ~と思いましたが、
どうも住んでいないと結論づける方がいいようですね。
和歌町も和歌浦の住人が移り住んだので、和歌町と呼ばれたように
雑賀町も同様に考えるのが、一番妥当であると思いました。




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