孫市の街まちづくり
和歌山市駅前【孫市の街】のまちづくりと雑賀衆の取り組みを紹介して行きます
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南海の急行が特急に特化〜♪
南海電車のダイヤが27日に変わりました。
和歌山市駅からなんば間の急行が減り特急に特化されました。

南海電鉄によりますと、平成5年の和歌山市駅の一日の乗降者の数は
平均3万2千人で、これに対して去年は平均で1万9千人とおよそ40%
減っている状況だそうです。

南海電鉄では、平日の昼間の時間帯は一部座席指定車も含めた特急
列車に特化し、30分間隔の運行をしていくことで減便をカバーしたい
としています。

ところで、このダイヤ改正から泉佐野駅の下り線の高架が完成される
ことから、和歌山方面から関西空港に行く場合の乗換えが同じホーム
でできるようなりました。また、関空へのアクセスの利便性を高める
ために、泉佐野から関西国際空港の特急ラピートの特急料金として、
大人100円、子ども50円を新たに設定しているとのことです。

      ☆      ☆      ☆

ここ数年、一日の乗降客が2万7千人〜2万3千人と聞いていましたが、
昨年は、とうとう2万人を切ってしまったんですね。こう乗降客が減少
したら減便もやむを得ないかもですが・・また一つ街活性化と逆方向
の事柄が増えたので・・・なんとかしたいです。大阪や関西圏に用事
の時にいつも使ってる南海電車をもっともっとみんなで守り立てて行
くべきだと思います。



『なぁんなぁん南海電車〜♪南の海をはしってく〜♪』
南海電車は、僕らの子供の頃より和歌山へ希望を乗せて走る電車
でしたし、これからもそうあってほしいです。。。
そう、節に願うばかりです(・・,)

歩知歩知(ぼちぼち)いこう
14日に毎日新聞の取材を急に受けたこと書きましたが、
今朝の「歩知歩知(ぼちぼち)いこう」のコーナーに掲載されました。
掲載記事は、下のとおりです。



     上部と下部それぞれ拡大してお読みください〜♪

「4年ほど前、商店街若手らと町の活性化策を模索」とありますが、
当時は、平成13年度競争力強化事業の取り組みから始まりました。
商店街若手(市駅青年部のみなさん)が中心となり市駅のエース像を
探る取り組みがなされ、最終的に雑賀孫市に決まりました。雑賀衆の
本拠の街・孫市の街のはじまりですね。

当時、中心になって市駅地区をどうしようかと一生懸命尽力された
商店街若手のみなさんのがんばりがなかったら・・・雑賀孫市の街
というのは、まだ見つかってなかったと思います。

それから・・「甲冑姿で全国行脚」ってちょっと大袈裟ですね(笑)
最北は、山梨の石和川中島合戦絵巻だけど。。。
ということは、石和以外に米沢も上越も行かんなんかなぁ(^^ゞポリポリ


          原クンと市駅前で

記事のとおり市駅前関係者だけでなく和歌山市のあちこちの方が
応援してくれています。食祭WAKAYAMAの時は、足軽姿に扮した
児玉クンが、一緒に参陣してくれました。さらに、赤い甲冑を着け
周囲を明るい雰囲気に変えてしまう京極さんも居ます(^^)v

取材の日には、甲冑の袖や脛当てを縫ってくださったのりちゃんも
参加してくれました。食祭WAKAYAMAの時にも写真撮影してくれました。
いろんな方の支えでなんとかやってます(感謝)

そうそう・・食祭WAKAYAMAは、ビデオも撮影してくれてたんだ。
早く見たいなぁ〜
食祭WAKAYAMA


「和歌山まるごと食べに行こら!」のキャッチフレーズで開催された
食祭WAKAYAMAに紀州雑賀鉄砲衆さんらと出演して来ました。

今年で二年目の食祭は、お客さんも沢山来て盛り上がっていました。
和歌山城砂の丸広場では、和歌山のうまいもんが集結。会場に入るなり
ぷ〜んっといいニオイがして食欲をそそる和歌山自慢の味が待っていました。
会場を周ろうとしてると写真を撮らせてくださいとよく止められました。
お城に甲冑姿がよく似合うと好評でした(^^)v(^^)v

演武の出番は、和歌山城西の丸広場でした。
「ふるさとの音と風景」と題して和歌山の郷土芸能の披露やふるさとの
まちなみの写真を紹介していました。
ここに紀州雑賀鉄砲衆さんや黒潮躍虎太鼓さんと一緒に出演しました。

今回は、足軽さんと二人で参加でした。
太鼓演奏のなかで発砲4機会を再確認する意味もありました。
舞台が狭かったので太鼓さんの動きを邪魔しないか気になりましたが、
舞台の両端に分かれて鉄砲隊のすぐ後ろに立ちました。

一日城主の阪神の平田ヘッドコーチや息子と同学年の田村投手と
会えて充実した一日となりました(^^ゞポリポリ 


写真は、残念ながら食べられなかった吉宗鍋です〜♪

                    photo by のりちゃん

殺陣練習会
神戸三宮まで原クンや京極さんと殺陣の練習に行って来ました。
彼らは、基礎を教わるのは、はじめてで貴重な体験だったと思います。

僕もあらためて教えていただいて、寄る年並みに肩や腕が痛かったけど
なんとかやってきました。今までの基礎は、まだまだ基礎でなかったんだ
と気付きました(^^ゞポリポリ 
「チャンバラよく見てたのと違う?格好いい」と言われたので
すごく嬉しかったですヽ(゜Q。)ノ ハラホロヒレハレ



午後には、甲賀忍者の話をオフレコの話も含めて聞けて
なんか得した気分でした(^^ゞポリポリ 
各自一枚ずつ手裏剣をいただきました。
白影さん、ありがとうございましたm(__)m



雑賀衆と和歌山城
「まず、城より始めよ」と大橋建一和歌山市長は、和歌山城を
中心とする観光振興を切り口に、市の体力づくりを進めること
を提唱しています。

和歌山市のシンボルである和歌山城を中心にした町おこしには、
僕も大いに賛成です。でもこうなると雑賀衆が忘れられがちです。
和歌山城となると天正13年(1585年)に秀吉に雑賀衆が解体された
それ以降のことだと誰も思ってるでしょう。

でも戦国時代に雑賀衆が活躍していた時期があってこそ、後の紀州
徳川御三家の時代があったわけです。歴史は、突如としてその局面
だけ登場するものでなく脈々として流れ続いているものです。

和歌山城の場所は、もともと雑賀衆の時代においても重要な場所
だったはずです。そう思って先日和歌山城郭研究会の白石先生に
質問しました。そしたら、僕よりももっと専門的に質問された方が
いらっしゃったらしく今月号の「紀州古城館情報」(和城研会報)に
その事が載っていました。それでこのブログでも白石先生の説明を
紹介したいとお願いしたところ快く承諾していただきましたので、
以下に紹介いたします。

   ☆       ☆          ☆

岡城は和歌山城の前身か・・・質問に答えて
                      和歌山城郭調査研究会会長 白石博則

 先日会員の方から「県史30和歌山県の歴史」(山川出版)159頁の
戦国時代の雑賀五組関係図にある岡城は和歌山城の前身ですかという
問いがあった。 

 和歌山城天守閣の史料展示コーナーに和歌山城築城以前(天正7年3月
25日)の銘のある遺物(測量のために使う石の分銅だったと思います)
が展示されています。また、築城以前に人がいた(住んでいた)証しとし
ては貝殻などをを捨てた跡(貝塚のようになっていたようです)が天守閣
周辺から確認されています。「お寺でもあったのだろう」と考えられてい
ますが、中世の城であった可能性があります。

残念ながら当時の文献で築城を示した史料はありません。しかし天正13
年3月の史料に「土橋構」「土橋平次城」と出てきます。市立博物館の寺西
貞弘氏はこれは現和歌山城の位置にあったと推定されています(『研究紀
要3号1988年)。

土橋氏は本能寺の変以降鈴木孫市逐電の後に雑賀衆の棟梁になった一族です。
和歌山城の位置は雑賀をおさえるには最適の場所ですから、雑賀一帯に強い
影響力を持ったものしか築城できません。ある時期土橋氏は雑賀衆の中で飛
び抜けて力を持っていたようです。しかし秀吉に攻められた時は城を出て土佐
に逃げています。秀吉はこの土橋城を落城させ、ここを拠点に太田城攻めを
行いました。そして和歌山城の築城に着手したのです。

ちなみに今の和歌山城のある山を天正13年当時「岡山」と呼んでいた史料
(紀州御発向之事)がありますので、「岡山城」と呼ばれていた可能性もあり
ます。

 岡城とは『和歌山市要』によると今の県立博物館の東方或いは南の丘にあっ
たといいます。今の和大の付属小中学校のあるあたりです。これは畠山高政
の城であるといいます。別名奥山城というようです。桐蔭高校の東の坂を「原
見坂」といい畠山さんの伝承があったと記憶しています(「和歌山市の民話」に
載っていたような気がします)。畠山氏がこの辺りに拠点を持っていたのかもし
れません。しかし城にするのなら今の和歌山城の方が標高も高く要害の地です。
雑賀荘一円に睨みを利かすのならこちらが有利です。

また雑賀衆には岡氏という有力な一族がいます。今の岡山丁・岡公園周辺の
地侍ですが、孫市の時代には岡了順という人がいて雑賀衆で重い地位にありま
した。しかし個々の雑賀衆には臨時的なものは別にして山城を築き維持するよ
うな力はないでしょうから、岡氏の持ち城という可能性はないのではと思います。

 以上のようにはっきりした文献史料もなく、遺構も残されていません。しかし
およそ今の和歌山城の前身が岡山城とか岡城と考えてよいのではないでしょうか。
 
   ☆       ☆          ☆


城の形は、ちがってもこういう風に雑賀衆が門を守っていたかもしれませんね(^^ゞポリポリ

このように和歌山城は、孫市以後の雑賀衆のリーダー土橋氏の城であった
可能性が高いと言えるようです。つまり和歌山城は、雑賀衆の城でもあったわけです。
白石先生、どうもありがとうございました。

和歌山出身芸能県人会のチャリティライブ!!


「雑賀の孫市」を唄っている岡村康司さんも参加されている
和歌山出身芸能県人会(会長:桂文福さん)が、12月2日17:00より
バラエティチャリティライブ!!を和歌山市民会館小ホールで開催するそうです。

 「みんなの芸も世界遺産?」と銘うってバラエティ・チャリティライブが
 次のように行われます。

 落語・マジック・腹話術・朗読・タップダンス
 それになんといっても歌手のみなさんが大勢だ!
 地元・和歌山を元気にする
 芸能県人会のみなさんにエールを送りましょう!

 出演は、岡村さんのTHE BEATをはじめ。。。
      落語/桂文福・桂三歩・桂文春・桂枝曾丸
      マジック/ケイトオカ 腹話術/千田やすし
      朗読/岡崎弥生 タップダンス/田中美和
      歌手/日高光路・賀川けい子・林健二・春菜美保
      美咲真央・観咲愛果・THE BEAT。。。のみんさんです。

 日時:2005/12/2(金) 開場16時 開演17時
 入場料:3300円(寄付金付)
 会場:和歌山市民会館小ホール 南海和歌山市駅前
 主催:和歌山出身芸能県人会 073-421-3655

孫市の街の報道
最近有難いことに結構孫市の街が紙面で取り上げられるようになって来ました。14日の取材のことを書きましたが、同じ日に読売和歌山版に孫市の街が紹介されました。

ウォーキングPRのなかでお話した記者さんが「手作り甲冑を見せてください」って来られて1時間ほどお話しました。
それが「まちかど」のコーナーに掲載されたのです。


6日の孫市の街ウォーキングの模様が、16日付けのわかやま新報に掲載されました。参加された方が、雑賀衆や雑賀孫市のことを前よりも身近に感じてくれたようで嬉しいですね(^^ゞポリポリ

紀州の風
スポーツ新聞で最近政界に「紀州の風」が吹いているとのレポートを読みました。竹中さんをはじめ県選出の代議士や参議院議員の方々ががんばってるとのことです。僕的には、杉村太蔵議員が記者会見の時にもそばにいた世耕さんが一番印象深いですが・・

ようは、この記事を読んで思ったことは、政界だけでなく、戦国時代でも紀州の風が吹いて雑賀孫市と雑賀衆がブームになってほしいなぁ〜
そして、沈滞した和歌山市駅前と和歌山市を活性化する起爆剤になればいいなぁ〜そう思ったのです(^^ゞポリポリ

急な取材!
14日は、急に毎日新聞から電話がかかってきました。
孫市の街の取材をしたいとのこと・・たまたま午後は
空いていたので取材を受けることにしました。

原クンやのりちゃんが来ると聞いていたけど、多分夕方近くだと
午後1時から予定していました。

すると原クンが12時半ごろ来ました。もうすぐのりちゃんも来るそうです。
原クンは、脛当てや篭手を縫ってくれたのりちゃんに見せたいと甲冑を着るよう・・・
ちょうどいいので一緒に取材に参加してもらうことにしました(^^)v



写真撮影は、市駅をバックに撮ることになりました。
当初、僕はいいかと着ていなかったので急な仕度で変な格好です(^_^;)
陣羽織の下に黒いのを着ると幕末の薩長みたいになるので、今後
要注意ですね(反省)



雑賀鉢発祥の地でも撮影していただきました。
紙面掲載は、ほかの孫市の街関係の取材も加えて26日(土)
毎日新聞朝刊の予定です。

取材の模様は、のりちゃんが撮影してくれました。

孫市の街ウォーキング続報!
孫市の街ウォーキングの写真、新たに入りましたので紹介します(^0^)/


         雑賀鉢発祥の地で


         孫市の血槍洗い手水鉢(専光寺)で

雨のなかの孫市の街ウォーキング
昨日は、あいにくの雨でしたが、孫市の街ウォーキングを
実施しました。最初は、小雨でしたが専光寺の手水鉢を見た後
あたりから雨が強くなってきました。雨にもかかわらず
最終の紅葉渓庭園の出口まで参加者全員完走(歩)しました。


   市駅前広場で挨拶する赤井広報部長

最初のゆかりの地は、雑賀鉢発祥の地です。
ここでは、市立博物館学芸員太田さんの一文を紹介しました。
「南海和歌山市駅を降り立ち、北東の方へ歩いていくと、
 ほどなく宇治の交差点に出る。車の通行量が多い一般的な
 交差点であるが、戦国末期には商工業の発達した町であった
 と思われる。「市」すなわち市場があり、交易の場として
 大勢の人々で賑わっていただろう。甲冑武具なども製作
 されており、兜は後に「雑賀鉢」と呼ばれた。雑賀衆は
 これを着用して信長らと戦ったといわれている。」


       雑賀鉢発祥の地で

つぎに三年間本願寺の本山だった鷺森別院に行きました。
ここでは、消えかけてる和歌山市の杭状の看板の説明文を紹介しました。
 「鷺の森の地名は、かつてこの地に椰(なぎ)の大樹があり、その上に
  常に白鷺が棲んでいたという伝承に由来する。海部郡雑賀荘に属し、
  永禄六年(一五六三)、和歌浦の弥勒寺山から本願寺が移転し、その後、
  寺内・門前が賑わい、戦国時代雑賀衆の拠点となった。浅野氏入国後、
  寺の周辺六四石の地が寺領として認められ、城下町の町割に当たって、
  町割計画から除外されて、異質な町割を示していたが、
  戦後、都市計画により改変された。」

そして、孫市が血槍を洗ったという手水鉢がある専光寺へ行きました。
ここでは、原クンに孫市のように刀を洗う仕草をしてもらいました。



「鉄砲の出来がいいと紀州のお殿様から名字を賜った」出来助鉄砲店でも説明しました。


        出来助本店さんの前で


        駿河屋さんの前で


        紅葉渓庭園鳶魚閣をバックにT専務さん(^o^)

雨だったので、参加者全員で記念撮影できなかったのが残念でした。
でも楽しいひと時でした。雨のなかずっと甲冑を着続けてくれた
T専務さん、原クン、足軽さん、ご苦労さま(*^o^*)/ 
3人の甲冑武者に感謝です〜♪

昨日、TV和歌山で夕方のニュースで紹介されました。
今朝の読売新聞和歌山版にも紹介記事が掲載されました。

   クリックして記事をお読みください(^0^)/

雑賀鉢発祥の地


2日、雑賀鉢発祥の地の看板の絵を原クンにお願いしました。
さっさぁ〜っとほんの数時間でこんな看板が仕上がりました。
6日の孫市の街ウォーキングの際には、雑賀鉢発祥の地で
参加者をこの看板が迎えるのですよ〜(#^ー゜)v



今日4日、商店街役員のYさんと現場に設置完了しました(^^)v
こんな感じになりました(^^ゞポリポリ

二羽の八咫烏


6日の孫市の街ウォーキングのスタッフ用のジャンバーを
探してました。出来さんところにちょうどいいのがありました。
いつもいろいろとお借りしてお世話になりっぱなしです。
ありがとうございます。

これは、鉄砲隊の方が、ご自分の感性でデザインされた
八咫烏だそうです。二羽が向き合って「雑賀」の文字、
なかなか面白い八咫烏だと思いました(^^)v(^^)v

「1585JAPAN」は、1585年天正13年雑賀衆が秀吉に制圧された年ですね。
11月6日は、よみがえれ雑賀衆!を胸に孫市の街ウォーキングを行います(^0^)/