孫市の街まちづくり
和歌山市駅前【孫市の街】のまちづくりと雑賀衆の取り組みを紹介して行きます
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「竹燈夜」
「竹燈夜」は、「まちなかキャンドルイルミネーション」と銘打って
11月25日(土)にまちおこし推進課が中心となっている和歌山まちなか
風物詩創出実行委員会により初めて実施されます。



竹は、東山東地区の市民の方から提供していただいた間伐竹を
市役所職員さんが切って準備しているそうで全部で7000本を
用意するそうです。

25日は、紀州かくばん祭りに出陣している日ですが、
夕方ぶらりと見に行くのもいいかもしれませんね(^^ゞポリポリ
 以下は、事務局のPR文です。↓

「和歌山城内とまちなか(ぶらくり丁)に、竹とキャンドルを組み合わせて作った灯篭などを
並べて、周りを優しい光で包みます。いつも見る和歌山城やまちなかとは違った幻想的な
空間が目の前に広がります。冬の澄み渡った空気の中、竹灯篭が創り出す温かくゆったり
とした空間を堪能してください。」
 


週刊まちぶら「戦国の名残 情景豊か」
11月6日の朝日新聞に週刊まちぶらで秋葉山周辺
「戦国の名残 情景豊か」が掲載されました。
3日に和歌山ものしり講座「雑賀衆と和歌山」ゆかりの地散策で
訪れたばかりの秋葉山(弥勒寺山)の特集です。
ちょうどタイムリーな掲載でしたね(^^)v(^^)v



           上と下それぞれクリックすれば文章も読めますよ(^0^)/
南都甲冑祭2006


11月5日は、甲援隊さん主催イベントに奈良まで行ってきました。
今回、正倉院展開催のため、交通渋滞が予想されると事前にお知らせを
いただいてました。9時までなら本陣を構えている場所の前まで突入できる
のですが、都合で10時すぎにしか到着しない模様・・駐車場が、昨年一度
停めたことのある場所なので、直接そこへいくことにしました。

東大寺との位置関係は、覚えていたけどカーナビさんが誘導してくれた場所は、
どうも反対に見えていました。方向逆かな?と思いつつ進入したらガードマンに
ここから先は行けないと止められました(滝汗)
どうやら東大寺の裏側に来ていたようでした(^_^;トホホ

戻って通りを一つ変えたいのですが、
ここから渋滞の真っ只中に(→o←)ゞあちゃー 
やっと駐車場にたどり着いて、ここで大部分着替えることにしました。
小具足に兜かぶって陣羽織はおって刀刺して、残りは袋に入れて歩く
妙な姿で東大寺前の通りに入って行きました(^^ゞポリポリ

 

鹿屋さん周辺では、もう何人かの甲冑武者が登場していました。
着替え場所に行くと一海さん横内さん以下みなさん居ました。
着替えの真っ最中でした。
ここまで荷物を持って歩いて来たからか、胴を着けてないのに
汗びっしょり・・しばらくしゃべって汗が引くのを待つ(笑)

さっき見た大角兜の面々を思い出しこれは、みんな派手だと今日は、
陣羽織を着てみることにしました。胴を着けないで簡易スタイル用の
陣羽織(黒潮躍虎太鼓さん団員用)のを鈴木繁友さんに手伝って
もらって初めて甲冑の上に装着完了(^^)v(^^)v

まだ時間あるのでお弁当を先に食べることにしました。
どうせならお天気もいいし公園で甲冑武者たちから少し離れた
屋根のあるところで食べようと思いました。

 
  この外人さんたちは、また別の方々です。「べんとう」さんの時の写真はないですね(^^ゞポリポリ

そちらへ行こうとしたら観光客に捕まりました(^^ゞポリポリ
どうもロシア人らしい言葉・・隣に来た人は、「べんとう」と日本語で言い
僕の弁当を強奪して甲冑姿にお弁当持ちという変なスタイルを強引に
排除して隣で写真に納まっていました(苦笑)

 
                            大きなソロバン数珠の後姿は、大宰少弐さんo(^-^)o
いよいよ行列がはじまりました。
遅れたので諸事情はわからずに居ましたが、どうも昨年とコースが違う?!
僕としては、一度歩いているから、これは、これで楽しめばいいと
前向きに解釈(^^)v

 

某のすぐ後ろに河内守さん、鈴木繁友さん、多気ちゃん・・
そして最後尾が正臣殿でした。すぐ前の背中、大きなソロバン数珠の
後姿は、本多忠勝の甲冑を身に纏う大宰少弐さんでした(^^)v(^^)v

 

信号の変わり目だったので最後尾の正臣さんが一人取り残された。
交差点で信号待ちの間に沢山の鐘を吊るして担いでる
風変わりなお坊さん風の方に出会った。
写真に撮ったら面白いかと一枚撮ろうと近づいたら
シャッター押す瞬間に気づかれました(^^ゞポリポリ
それでこのような出来上がりの写真になりました。

そしたら、その方が
「そちらのような風体の方に撮影されるって反対です。撮りましょうか〜」
と言って僕らを撮影してくれました。 それが下の写真です(#^ー゜)v
  

「八幡大菩薩」の旗を先頭に行列は、進んで行きます。
旗持ちは、いつものように采女祐殿です。
 

正倉院の裏のジャリ道を歩いて行くと正倉院展の最後尾の看板が目に
付きました。なんとか行列と最後尾を一緒に納まらないかと2枚撮影。
 

旗持ちの二人は、旗を木の枝に引っ掛けないように懸命に
上を見てますね。お疲れさま(*^o^*)/
もう一人の旗持ちは、玄蕃頭殿でした。

ただ正倉院の裏のジャリ道を歩くと足が痛くなってきた。
エアージョグ地下足袋をチョイスすれば良かったのにと悔やむ・・
・・まあしゃ〜ないか(^^ゞポリポリ

行列も終わり頃に若いカップルが近づいて来た。
女の子が行列の前でピースして、それを彼が撮影したいようだった。

 
それを狙ったのだが、少し遅く左の写真になりました。
ふたりは、「今日、最初の写真がこれや!」と大喜びでした(笑)

行列もシメになりました。
一海隊長の号令で、全員で
「えいっ!えいっ!おぉぉぉぉぉ〜〜〜〜!」
そして「おのおのの槍働きに任せる!」と自由行動時間になりました(^^)v(^^)v
 

そして、記念撮影をしました(^^)v(^^)v
  

自由時間になって一回目に左の写真の落ち武者の多気ちゃんと
そして二回目に鈴木繁友さん・正臣さんほかとある事を敢行しました(^_^;)
            注)かん‐こう【敢行】悪条件を押し切って行うこと。
 

その後は、鈴木繁友さんとふたりで「雑賀衆」の背旗を付けて
うろつきました。結果、紀州雑賀衆のPRになったかな(^^ゞポリポリ

昨年の京都三条でも「雑賀衆」の旗に注目してくれる方が結構居ました。
ここ奈良でも思いのほか反応してくれる方々が居ました(^^)v

「雑賀衆」を「ざつがしゅう」とか「さいがしゅう」とか聞かれてました。
その都度、「さいかしゅう」と読み、和歌山で雑賀孫市の街として
街おこししてますとちゃっかり宣伝してました(^^ゞポリポリ

この日は、通りは常に人であふれていました。
甲冑武者は、喜んでくれる観光客も居たし十分必要とされてました。

でも和歌山から考えると、僕たち甲冑武者がいなくても
これだけ沢山の人が来てくれる奈良はいいなぁ〜と思いました。
和歌山でこれだけ人が来ませんし、何かイベントしたとしても
悲しいかなもっと少ないですね(^_^;トホホ まあ・・がんばるしかないですね(^^ゞポリポリ

 
    少し減ってきた頃だったかな・・天狗屋殿の福島正則の角の間から通りを眺める(笑)

本陣では、一般の方に無料で甲冑を着てもらおうという甲冑体験
コーナーを一海隊長さん、横内副隊長さんが、中心となり実施しました。

甲援隊隊長&副隊長の恒例のポーズで、いよいよ南都甲冑祭も
終わりに近づいてきました。そして甲援隊と雑賀衆の恒例の連帯ポーズ、
今年もやってきましたよ(^^)v(^^)v
 

最後は、大角五人衆が隊長を串刺しにして
THE ENDでした(爆)
  

宴会も参加したかったけど、お酒抜きの宴会はイヤやから(^^ゞポリポリ
和歌山まで運転して帰るので泣く泣く帰路に着きました。

今日は、気軽に一日楽しめましたo(*^▽^*)o~♪
甲援隊さん、どうもありがとうございました。
  

和歌山ものしり講座「雑賀衆と和歌山」ゆかりの地散策(2)
弥勒寺山を後にしてバスは、専光寺へ向かいました。
専光寺は、鷺森別院近くにある小さなお寺ですが、雑賀孫市が
血のついた槍を洗った手水鉢があることで有名です。

太田さんの説明が終わった後に「雑賀孫市血槍洗い手水鉢」で
槍を構えると何人かの参加者は、写真を撮ったり、また僕の横に
立って写真に収まったりしていました。


寺伝によるとここの住職中嶋孫太郎は、鈴木孫一の兄といわれています。
その活躍をしのばせる下間正秀書状が紹介されました。             
あて名の中嶋孫太郎は、専光寺第二代順勝です。
初代は女性だったそうです。
彼は天正四年(一五七六)天王寺方面で織田信長軍との激戦が
あったとき、今宮付近で一番槍として活躍した。
本書状ではその功労をたたえているそうです。



専光寺の後は、鷺森別院に移って昼食でした。
お弁当は、孫市鍋で有名な割烹船瀬さんが、孫市鍋のお弁当版として
孫市弁当を用意してくれました。
これが、当日の一番の目玉だったかもしれませんo(*^▽^*)o~♪
鯛飯に地のものを活かした豪華満点のお弁当でした(^^)v(^^)v


食事休憩の後、再開に際して孫市の会ですこし時間いただきました。
まず、孫市の会の理事で沙也可に関して自費出版された辻専務より
本の紹介がありました。私も山下会長(本名と一字違い)として登場します。

そして、私の方から孫市の会の案内をしました。
孫市の会は、「雑賀孫市は和歌山の宝」を合言葉に和歌山市を元気にしようと活動しています。春には、鷺森別院で孫市まつりをすることなど説明しました。どんな会員さんが居るかという説明で孫市鍋と孫市弁当についても触れ、弁当を用意してくれた割烹のお店なども会員さんであることなど紹介しました。

お昼の休憩も終わっていよいよ午後の部です。
参加者は、本堂にあがりました。
 

本堂では、まずお寺さんより花田さんから鷺森別院の今日までの
あゆみについてお話がありました。つづいて、太田さんより蓮如
上人の時代に真宗が飛躍的に広まった経緯の話がありました。

本堂の中は、襖など立派でした。
入り口の和歌山弁を撮影(^^ゞポリポリ

鷺森御坊(当時は雑賀御坊とも呼ばれた)現在の鷺森別院は、天正8年(1580)
4月9日に鷺森に移ってから天正11年(1583)7月、顕如上人が貝塚に移るまでの
3年余、真宗の総本山であった。


最後に、雑賀鉢発祥の地〜宇治の交差点付近へ行きました。
雑賀鉢の説明に僕の兜を使ってくれました。
兜の後ろの説明の際には、みなさんに背を向けて
雑賀鉢の背面を見てもらいました(^^ゞポリポリ

「南海和歌山市駅を降り立ち、北東の方へ歩いていくと、
 ほどなく宇治の交差点に出る。車の通行量が多い一般的な
 交差点であるが、戦国末期には商工業の発達した町であった
 と思われる。「市」すなわち市場があり、交易の場として
 大勢の人々で賑わっていただろう。甲冑武具なども製作
 されており、兜は後に「雑賀鉢」と呼ばれた。雑賀衆は
 これを着用して信長らと戦ったといわれている。」

当時は、三日市、六日市が開かれ、この辺りで月6回の市が開かれていました。
ここから南海和歌山市駅まで歩いて2・3分。
駅で解散して参加者とお別れしました。