孫市の街まちづくり
和歌山市駅前【孫市の街】のまちづくりと雑賀衆の取り組みを紹介して行きます
プロフィール

雑賀孫八

  • Author:雑賀孫八
  • 雑賀衆の取り組みと孫市の街まちづくりをレポートします^^

『孫市まつり』公式ホームページ
孫市まつり公式ホームページ

ツイッターやってますよ(^^ゞポリポリ
      雑賀孫八twitter



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



QRコード

QR



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

雑賀町


8月27日付わかやま新報に「雑賀孫市が暮らした町~雑賀町」
と題するコラムが掲載されました。このコラムは、雑賀町を
「戦国時代に活躍した雑賀衆の鉄砲大将、雑賀孫市がこの辺りに
住んでいたことからその名がついたらしい」と紹介している。
しかし、この根拠はなにもありません。

雑賀孫市、本名:鈴木孫一重秀の本拠は、和歌山市の平井・大谷
でありました。 市博学芸員の太田さんも「雑賀町は天正の頃、
雑賀孫市が住んだから名づけられたと一応伝えられます。これも
全く根拠がない話です。」と以前説明してくれました。これは、
江戸後期の『紀伊続風土記』に書かれているだけで、戦国時代
当時の根拠がなにもないからです。

では、実際どうだったのだろうか・・・市博学芸員の武内さんは、
一個人の仮説としながら次のように説明してくれました。
「雑賀町は、雑賀本郷の住人が移り住んだので雑賀町と呼ばれた
のだろう。」

というのも、戦国時代、問題の場所は、川で人が居住できる場所
ではなかったとのこと。雑賀本郷とは、雑賀庄内の一つの郷であり、
雑賀庄全体の鎮守である矢ノ宮を村の産土神とする関戸、西浜、
宇須、塩屋、小雑賀の五村に、和歌浦を加えた雑賀庄南部の地域
である。和歌浦の住人が移り住んだ和歌町があるのでそれ以外の
関戸、西浜、宇須、塩屋、小雑賀の住人が移り住んだと考えられる
そうです。

一時、雑賀孫市が雑賀衆のリーダーとなった時に鷺森御坊に詰める
際に便利なように近場の雑賀町に住んだのかなぁ~と思いましたが、
どうも住んでいないと結論づける方がいいようですね。
和歌町も和歌浦の住人が移り住んだので、和歌町と呼ばれたように
雑賀町も同様に考えるのが、一番妥当であると思いました。

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://magoichi.blog9.fc2.com/tb.php/132-6cf286b5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

うぶのかみ)は生まれた土地を領有、守護する神。単に産土とも言う。日本人の郷土意識と強く結びついた信仰。もとは氏神や鎮守神とは別の性格を持っていたものと思われるが、近世以降は同一視される場合も少なくない。氏神、氏子の関係が血縁集団を基にして成立しているのに 神話の世界【2007/10/05 12:11】


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。