孫市の街まちづくり
和歌山市駅前【孫市の街】のまちづくりと雑賀衆の取り組みを紹介して行きます
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和歌山ものしり講座「雑賀衆と和歌山」ゆかりの地散策(2)
弥勒寺山を後にしてバスは、専光寺へ向かいました。
専光寺は、鷺森別院近くにある小さなお寺ですが、雑賀孫市が
血のついた槍を洗った手水鉢があることで有名です。

太田さんの説明が終わった後に「雑賀孫市血槍洗い手水鉢」で
槍を構えると何人かの参加者は、写真を撮ったり、また僕の横に
立って写真に収まったりしていました。


寺伝によるとここの住職中嶋孫太郎は、鈴木孫一の兄といわれています。
その活躍をしのばせる下間正秀書状が紹介されました。             
あて名の中嶋孫太郎は、専光寺第二代順勝です。
初代は女性だったそうです。
彼は天正四年(一五七六)天王寺方面で織田信長軍との激戦が
あったとき、今宮付近で一番槍として活躍した。
本書状ではその功労をたたえているそうです。



専光寺の後は、鷺森別院に移って昼食でした。
お弁当は、孫市鍋で有名な割烹船瀬さんが、孫市鍋のお弁当版として
孫市弁当を用意してくれました。
これが、当日の一番の目玉だったかもしれませんo(*^▽^*)o~♪
鯛飯に地のものを活かした豪華満点のお弁当でした(^^)v(^^)v


食事休憩の後、再開に際して孫市の会ですこし時間いただきました。
まず、孫市の会の理事で沙也可に関して自費出版された辻専務より
本の紹介がありました。私も山下会長(本名と一字違い)として登場します。

そして、私の方から孫市の会の案内をしました。
孫市の会は、「雑賀孫市は和歌山の宝」を合言葉に和歌山市を元気にしようと活動しています。春には、鷺森別院で孫市まつりをすることなど説明しました。どんな会員さんが居るかという説明で孫市鍋と孫市弁当についても触れ、弁当を用意してくれた割烹のお店なども会員さんであることなど紹介しました。

お昼の休憩も終わっていよいよ午後の部です。
参加者は、本堂にあがりました。
 

本堂では、まずお寺さんより花田さんから鷺森別院の今日までの
あゆみについてお話がありました。つづいて、太田さんより蓮如
上人の時代に真宗が飛躍的に広まった経緯の話がありました。

本堂の中は、襖など立派でした。
入り口の和歌山弁を撮影(^^ゞポリポリ

鷺森御坊(当時は雑賀御坊とも呼ばれた)現在の鷺森別院は、天正8年(1580)
4月9日に鷺森に移ってから天正11年(1583)7月、顕如上人が貝塚に移るまでの
3年余、真宗の総本山であった。


最後に、雑賀鉢発祥の地~宇治の交差点付近へ行きました。
雑賀鉢の説明に僕の兜を使ってくれました。
兜の後ろの説明の際には、みなさんに背を向けて
雑賀鉢の背面を見てもらいました(^^ゞポリポリ

「南海和歌山市駅を降り立ち、北東の方へ歩いていくと、
 ほどなく宇治の交差点に出る。車の通行量が多い一般的な
 交差点であるが、戦国末期には商工業の発達した町であった
 と思われる。「市」すなわち市場があり、交易の場として
 大勢の人々で賑わっていただろう。甲冑武具なども製作
 されており、兜は後に「雑賀鉢」と呼ばれた。雑賀衆は
 これを着用して信長らと戦ったといわれている。」

当時は、三日市、六日市が開かれ、この辺りで月6回の市が開かれていました。
ここから南海和歌山市駅まで歩いて2・3分。
駅で解散して参加者とお別れしました。


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