孫市の街まちづくり
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「孫市」飛んでイスタンブール!
孫市の会でいつもご尽力いただいている若太夫さんが
友好使節団の一員としてトルコを訪問されました。
「雑賀孫市」と「孫市の会」のPRもして来てくれました。
以下、若太夫さんのレポートを紹介します。



「トルコに友情の絆」         レポート:若太夫 
   
日本・トルコ友好使節団として一週間行ってきました。
120年前のエルトゥールル号の事件を契機に芽生えた
日本とトルコの友好関係がますます深まったと感じました。

特に友好のきっかけを作った串本町の姉妹都市、南部の
メルシン市では熱烈な歓迎を受け感激しました。
120年前の出来事を昨日のことのように語ってくれる
多くの人たちに会うことができました。

(注)エルトゥールル号遭難事件 - Wikipedia

             ①ボスフォラス海峡
20081027_01.jpg 
まず写真の①はアジアとヨーロッパを結ぶイスタンブールのボスフォラ
ス海峡です。 ローマ帝国時代よりいろんな文明を結びつけた海峡で、
黒海からマルマラ海へと通じ、その先は地中海です。

       ②世界最大級の市場、グランドバザール
20081027_02.jpg
②はイスタンブールにある世界最大級の市場、グランドバザールです。
東京ドームの3分の2ほどの広さに金銀、宝石などおよそ4400軒の店
がひしめきあっています。

          ③アンカラ、旧市街の露天
20081027_03.jpg
③はトルコ共和国誕生とともに生まれた首都、アンカラの中心地にある
城塞に囲まれた旧市街の露天です。 見慣れない豆、穀物類がびっしり。

ここで昼食をたべましたがその最中に、市内全域のモスクからお祈りの
呼びかけ『アザーン』を朗誦する声が響き渡りました。
この浪々とした呼びかけは夜明け前から始まり、1日5回聞こえます。

           ④イスタンブールに渡った甲冑
20081027_04.jpg
今回の旅の目的を象徴する遺物にイスタンブールで会うことができました。
写真④がそれで、ボスフォラス海峡を見下ろすように建っている
トプカプ宮殿の宝物館にありました。

串本町の茶道宗家の跡取り、山田寅次郎はエ号の事件に衝撃を受け、
民間から犠牲者の遺族に対する義捐金を集めるキャンペーンを行い、
事件の翌々年に集まった義捐金を自ら携えて当時のオスマン帝国の
首都イスタンブルに渡りました。

20081027_10.jpg20081027_11.jpg

その時にいっしょに持っていった甲冑です。
このことはどのガイドブックにも載っていません。
私たちを案内してくれた親日家のムスタファさんが教えてくれたものです。

残念ながら飾り方がちょっと雑でしたが、それでも銘板にはその旨が
きちんと書かれていました。 この宮殿を訪れる日本人観光客も多い
と言うことですが、何人それに気づいてくれるでしょうか?
山田寅次郎はその後トルコに留まり、国交が樹立していない中、
官民の交流に尽力しました。

            ⑤クレオパトラの門
20081027_05.jpg
⑤は姉妹都市メルシン市とアダナ空港の途中にある「クレオパトラの門」です。
シーザーが暗殺されたあと、女王クレオパトラがアントニウスに会うために
通った門だそうです。 トルコにはこんな「教科書に出てくる西洋の歴史」遺産が
いっぱいです。

        ⑥エルトゥールル号の慰霊式典
20081027_06.jpg
⑥はメルシン県とメルシン市が合同で開催したエルトゥールル号の慰霊式典です。
この慰霊碑は串本町にある慰霊碑を真似て作られたもので、
地中海を臨む市民の憩いの広場に建てられています。
地元の小学生たちが国旗を振って出迎えてくれました。

   ⑦メルシン市のホテルから見た地中海の夜明け
20081027_07.jpg

今回の訪問はエルトゥールル号をきっかけにした両市町・県の関係を
さらに深めるのが目的でしたが、「孫市」も両国の大きな友好関係を
作ってくれました。

メルシン市以外のところでもそうでしたが、
私たちの作った甲冑姿を入れた名刺を出すと、
みんな驚いて「サムライ」と叫びました。

そうです。トルコ人は「サムライ」が大好きなんです。
聞くとやはり『ラスト・サムライ』がきっかけのようでした。

        ⑧八咫烏が地中海の夕陽を浴びています
20081027_08.jpg

          ⑨ムスタファさんと雑賀衆タオル
20081027_09.jpg
⑨は前に書いたムスタファさんが、差し上げたタオルを喜んで広げているところです。

バックはイスタンブールの通りです。
ムスタファさんは10数年前に1年半、神戸市の三ノ宮に住んでいた親日家で、
今回の旅を大成功に導いてくれた恩人です。

日本に来られたら和歌山まで足をのばして「サムライ」孫市に会う約束をしてきました。
その前に孫市の会がトルコに招待されるかもしれませんが・・・・・。
期待しましょう。



若太夫さん、レポートありがとうございました。

この記事に対するコメント
こんばんは
エルトゥールル号遭難事件繋がりだけでなく、孫市関係でも、トルコまで進出とはすごいですね。
エルトゥールル号遭難事件や義捐金・甲冑云々、そういう経緯があったんですね。「その時にいっしょに持っていった甲冑です。」とありましたが、誰の甲冑なんでしょうか?(山田寅次郎あるいはその人の先祖のですか?)
個人としても、トルコへ行ってみたいですね。

孫市って、サムライというイメージよりも、優秀な戦略家&ガンマンに近いですが。刀や槍の方も相当の腕の持主だったと思いますが、実際の所、どうだったんだろう?

TVゲームの「戦国無双」、海外にも売ってるらしいが、海外の人は銃繋がり?ということで迷わず雑賀孫市を選ぶんだろうか?いずれにしろ、もっと知られるようになって欲しいですね。

雑賀孫八さんこそ、21世紀の孫市だと思う今頃です。
【2009/02/14 20:46】 URL | 平成の孫市 #X.Av9vec [ 編集]

Re:こんばんは
平成の孫市さま
書き込みありがとうございます。

甲冑についてですが、私自身がトルコに行ったわけでないので
詳しい事はわかりません。
検索して調べたところ、「甲冑師明珍作の鎧兜、豊臣秀頼の陣太刀」
と明記されていますが、誰の所用かは、書かれていませんね。

槍の件は、雑賀衆は槍の達人が多いと記録にも残っています。
孫市の兄とされる専光寺二代目住職中島孫太郎は、天正四年
(1576)4月天王寺方面で織田信長軍との激戦があった時、
今宮付近で一番槍の活躍しました。専光寺は、雑賀孫市が
血のついた槍を洗ったといわれる「血槍洗い手水鉢」が残っている
ことでも有名ですが、「血槍洗い手水鉢」が残っているくらいだから
もちろん孫市自身も達人だったでしょうね。

同年5月7日の天王寺砦の攻防でも記録に残っている。城内から
打って出た雑賀衆の槍働きのすさまじさに、信長も持てあまし
「古今無双の強槍」と伝えられている。晩年の徳川家康が、
本当の「槍合せ」などめったにないが、石山合戦の時に
一度あったと聞いていると言ったのは、
この戦闘を指しているそうです。

孫市自身の鉄砲や槍での活躍が、リアルに記録に残っていたら
もっとわかりやすいのですが、あまり残ってないようで残念です。

よろしくお願いします。
【2009/02/15 09:48】 URL | 雑賀孫八 #mQop/nM. [ 編集]

追伸
平成の孫市さま

追伸です。
レポートを書いてくれた若太夫さんからのコメントいただいています。
紹介します。



イスタンブールの甲冑の件ですが、私も詳細は不明です。
ただ一つの検索には「山田家伝来の」とありますので、
家宝を持っていったのではないでしょうか。
何せこの山田寅次郎は、訪問のあとトルコで士官学校を作り、
その学校で育てた一人に「トルコ建国の父」と敬愛される
初代大統領がいるぐらいですから。



よろしくお願いします。
【2009/02/16 01:25】 URL | 雑賀孫八 #mQop/nM. [ 編集]


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