孫市の街まちづくり
和歌山市駅前【孫市の街】のまちづくりと雑賀衆の取り組みを紹介して行きます
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雨のなかの孫市の街ウォーキング
昨日は、あいにくの雨でしたが、孫市の街ウォーキングを
実施しました。最初は、小雨でしたが専光寺の手水鉢を見た後
あたりから雨が強くなってきました。雨にもかかわらず
最終の紅葉渓庭園の出口まで参加者全員完走(歩)しました。


   市駅前広場で挨拶する赤井広報部長

最初のゆかりの地は、雑賀鉢発祥の地です。
ここでは、市立博物館学芸員太田さんの一文を紹介しました。
「南海和歌山市駅を降り立ち、北東の方へ歩いていくと、
 ほどなく宇治の交差点に出る。車の通行量が多い一般的な
 交差点であるが、戦国末期には商工業の発達した町であった
 と思われる。「市」すなわち市場があり、交易の場として
 大勢の人々で賑わっていただろう。甲冑武具なども製作
 されており、兜は後に「雑賀鉢」と呼ばれた。雑賀衆は
 これを着用して信長らと戦ったといわれている。」


       雑賀鉢発祥の地で

つぎに三年間本願寺の本山だった鷺森別院に行きました。
ここでは、消えかけてる和歌山市の杭状の看板の説明文を紹介しました。
 「鷺の森の地名は、かつてこの地に椰(なぎ)の大樹があり、その上に
  常に白鷺が棲んでいたという伝承に由来する。海部郡雑賀荘に属し、
  永禄六年(一五六三)、和歌浦の弥勒寺山から本願寺が移転し、その後、
  寺内・門前が賑わい、戦国時代雑賀衆の拠点となった。浅野氏入国後、
  寺の周辺六四石の地が寺領として認められ、城下町の町割に当たって、
  町割計画から除外されて、異質な町割を示していたが、
  戦後、都市計画により改変された。」

そして、孫市が血槍を洗ったという手水鉢がある専光寺へ行きました。
ここでは、原クンに孫市のように刀を洗う仕草をしてもらいました。



「鉄砲の出来がいいと紀州のお殿様から名字を賜った」出来助鉄砲店でも説明しました。


        出来助本店さんの前で


        駿河屋さんの前で


        紅葉渓庭園鳶魚閣をバックにT専務さん(^o^)

雨だったので、参加者全員で記念撮影できなかったのが残念でした。
でも楽しいひと時でした。雨のなかずっと甲冑を着続けてくれた
T専務さん、原クン、足軽さん、ご苦労さま(*^o^*)/ 
3人の甲冑武者に感謝です~♪

昨日、TV和歌山で夕方のニュースで紹介されました。
今朝の読売新聞和歌山版にも紹介記事が掲載されました。

   クリックして記事をお読みください(^0^)/


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